人生の教科書

見えない何か?

ちょうど春彼岸が終わり、昨年の忌まわしい記憶が蘇る。

令和2年3月18日午後1時過ぎ、法務多忙で境内内の掃除やお焚き上げができていなかったので数カ所で少しづつ燃やしながら移動していた。

駐車場の掃除の途中で突風が吹き火が山際に飛んだ。見る間に燃え広がって斜面を駆け上って行く。斜面の上に先回りして土を出せば堆積した枯れ葉に燃え移らないだろう?

やるしかないと決断し、斜面の上から土を出してゆくが日の勢いが強くなり風向きが変わった。

だめだ間に合わない!

山の斜面に身体の左側を下にして立っていたので、駆け上がってくる炎で身体の左側が生きながら一瞬で蝋燭のように溶けた。

煙に巻かれ、焼かれながら絶望的に迫りくる炎の空を見る。ゆらゆらと揺れる何かが炎の上にある。知らない顔のようなものがゆらゆらと揺れながらこっちを見ている。

 「お迎え」が来るとき、先祖の誰かや友人たちがその人のところへ現れるなんていうことを聞いたことがあった。

その間も生きながらだんだん身体は焼かれていく

走馬灯のように記憶が蘇り走り去る。その刹那、一ヶ所だけ日の弱い場所が見えた。そこをめがけ崖から3m滑り落ちた。

ドクターヘリで救急病院に運ばれた。熱傷度3であった。4なら左腕を切り落とすところであった。煙を多量に吸い込んだため一酸化炭素中毒で危険な状態だった。高濃度の酸素を二日間に渡って吸引し解毒した。

火傷の方だが、腕から多量の体液とうみが出るので大人用の紙おむつを腕に巻かれた。そのまま動かないようにベッドに固定される。毎日午後の診察時に包帯を換え薬を塗る。この前に水で流しながら腕を擦られる。

これが最大の恐怖であった。

皮膚の再生のため再生しかけている皮膚でさえもうみと一緒に擦り落とされる。この痛みは形容し難いのであった。

水を流されただけでも染みて痛いのにそこを擦られる。

「かなり痛いと思いますが良くなるために必要なので我慢してください!』

触られてぎゃーっと叫んで悶えるのみであった。今となれば、その痛みもどの程度だったか虚な記憶だが、とにかく形容し難い痛みだったのは確かである。

ところで、人の身体は動けないように固定されると若くても約3週間で身体の機能は80歳程度になる。1950年代にアメリカ陸軍が20歳の新兵を3週間ベッドに縛りつけたらどうなるかという実験をした。飲食も排泄も縛り付けられたままするのだ。3週間後、見事に80歳の新兵のできあがりである。人の身体は環境に適応する機能があるが、寝返りも打てない状況では急速に退化する。

わたしの腕は、手首から先が炎で焼かれたここと長期間手を動かせなかったことで、手首から先が麻痺した。

毎晩眠れないほどの痛みだけが残った。

この痛みが生かされている事実を教えてくれる。勝手に生きているのではない。何か理由があるのだ。

「不幸中の幸い」という言葉もある。

ただ生きているのではなく、何かに護られる理由があって生かされているのだ。それ故に、わたしも生き人も生かし(活かす)たい。

指も動くようになってはきているが、細かい動きが難しい。着物などは紐で縛るので、人差し指と親指を使う。これを他の指で代用しようとしてもできない。

手首からの神経は親指側から通常使われることが多い。これを逆にする。要するに、小指から順番に動かし力を入れて抜く練習をする。なるべく親指側に力を入れないように均等に指に力を入れる。そういう意識が大切になってくる。

左側を庇って右腕を酷使する。そうすると身体が歪むので違う箇所がひどく痛む。人間の体は微妙なバランスの上に成り立っているのだ。前屈みで仕事をすることが多い。事務仕事もそうだが前屈みでやることは多いものである。同じ動作を長時間せず、ストレッチなど休息を入れながら短時間で済ますことが歪みを生まない秘訣なのだ。

彼岸と此岸の出会う時と場所があるのかもしれない。

その時、あなたは何を思う?

毎日の終わりに、今日やり残しがなかったかどうか考える。後悔のないよう最善を尽くして今日を終わろう。

たとえ計画的にやっていることさえも、今日やり残したことがないように生きるのだ。よりよく生きるために最大の努力と実践が人生を拓くと信じる。

合掌

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